朝が苦手な人間が綴るブログ (限界大学院生編)

基礎こそ物の上手なれ. 人間万事塞翁が馬. を大切にしている経済学徒.

生きる意味とか幸福とかその辺のことについて

大学を夢を持った若者たちに使っていただいているので(センター試験)研究室に行けず、2日間ずっと引きこもる週末を過ごした。マクドとスーパーに行くために1度だけ外出をしたが。
 
ちょうど学期末で課題やらなんやらをこなしながら、修論の構想などの発表の準備に疲弊している。てか日本の修士課程って2年あるんだから、M1の間にこんなに修論に時間を割きたく無いのが本音。

 
研究室的問題、分野的?問題から正直休学したい、なんなら再度受験し直して他の研究科に行きたいとすら思っている。自分にとっては非現実的すぎるので行動に移さないが。
 
 
ところで幸福とは何だろうか。よく日本は経済的に恵まれている国であるのに、日本人の幸福度は低いと言われたりもする。一方で経済的に貧しいながらも、幸福度は高いと言われている国もある。幸せだと感じにくい人が多いのは、他人と比べて自分が劣っているとかそんなことを考える人が多いからだという人もいたりする。
 
まず幸せについて考える前に、そもそも私にとっては幸福度を国際比較すること自体「しょーもな」と思ってしまう。経済や文化、気候的状況が同じ国(比較的温暖な気候にある先進国同士など)を比べるならまだ分かるが、生活様式が全く異なる国の人と比べられても「はいそうですか、それは面白い」としか言えない。
 
私自身、典型的な他人と比較して生きている人間で、常に自分の持っている能力の低さに苦しめられている。現段階ではあまり幸せでないと感じながら生きている人間だ。これは精神的な問題が常に付き纏う大学院生であるからかも知れない。「幸せになりたい」と思う気持ちは誰にでもあるものだと思うが、では何が実現したら「幸せになれる」のだろうか。また、どのように<「幸せになりたい」のか。
 
どのように幸せになりたいか、についてあまり考えたことがない人が多いのではないだろうか。数学ガールの作者である結城浩さんは以前このようなことをツイートしていた。

「それは人生での幸福の最大値を高めたいということ?平均値を高めたい?最小値を高めたい?分散を小さくしたい?増加関数にしたい?自分が制御変数を手にしたい?特定の相手よりも高い値を保ちたい?

少し捻くれているようにも聞こえるが、なかなかいいところを突いていると思う。
もちろんどれも当てはまると言えばそうなのかも知れないが、全てはトレードオフだ。ノーベル経済学賞を受賞したThomas SargentもUC Berkeleyのcommencement speechでそう言っていた。みんなはどのように幸せになりたいと思うだろうか。
 

すぐ話があっちこっちにいくが、私と同じようなことを感じている日本人の人って結構いるんじゃないだろうか。他人と比べることも全て悪い訳ではないが、自分を苦しめる要因の1つであることは間違いないだろう。しかし他人と比べなければならないことが沢山あるのが資本主義の社会でもあると思う。社会における自分の相対的な立ち位置を理解していなければ、就職活動で苦しむだろう。  

幸せについて考えていると、生きる意味についても考えなくてはならない。そもそも生きる意味なんてあるのだろうか。多分ないだろう。特定の女性を幸せにするために生まれてくる男なんていないし、イチローも野球をするために生まれてきた訳ではないはずだ。
 

こうやって様々なことを1人で悶々と考えていても、大抵の場合、答えにたどり着けないと思う。誰とも話さずに、1人で考える時間はとても大切だと思うが、「これだ!」という考えに辿り着けても、往往にしてその考えは変わる気がする。もしくはそれは答えではなかったかも知れない。1つの考えだけを、自分の中で正義とするのは非常に難しいことである。
 
そんな行為は「生きる意味を問うこと」かも知れない。人生の醍醐味と考える人も少なく無いはず。そんなとき、我々に助けを与えてくれるのが読書だろう。本格的にそう思うようになったのはここ数年なんだが、読書といっても特に文学を読むことが、幸せや生きる意味について先人からアドバイスを貰える機会になると思う。文学は(経済的な)勝ち負けなどとは異なる次元にあるものだと思うので、資本主義の社会で育ち凝り固まった我々の感性に水を与えてくれる気がする。

 

学部生の間は、と思っていたが、若い間の4年間に限らず、知的に放蕩する生涯を過ごしたいと思う。
 
 
 
さっきオナラしたらウンコ漏れたと思って焦った。。

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